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大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)8690号 判決

原告

島本ハル

被告

角政男

ほか一名

主文

被告らは各自、原告に対し、金四二八万七、七五〇円およびこれに対する昭和五六年四月二三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その三を原告の負担とし、その二を被告らの負担とする。

この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告らは各自、原告に対し、金一、〇五八万三、七九〇円およびこれに対する昭和五六年四月二七日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因

一  事故の発生

1  日時 昭和五六年四月二三日午後九時三〇分頃

2  場所 大阪市平野区瓜破西一丁目一番一六号先路上

3  加害車 普通乗用自動車(泉五六ほ七二二三号)

右運転者 被告山田隆司(以下、被告山田という)

4  被害者 原告

5  態様 事故現場付近の市道西側を南から北へ歩行中の原告に、被告山田運転の加害車が右市道を運転未熟のまま北進したことから、加害車前部を原告の腰部に衝突させた。

二  責任原因

1  運行供用者責任(自賠法三条)

被告角政男は、加害車を所有し、自己のために運行の用に供していた。

2  一般不法行為責任(民法七〇九条)

被告山田は、酒気を帯びて加害車を運転し、事故現場より約一七メートル南方のT字路を北に左折したが、酒気帯び運転の影響もあつて前方の注視がおろそかとなり、折から前大道路左端より九〇センチメートルの地点を歩行中の原告を直近に認めたのに、運転操作を誤り、ハンドルを左に切り、更にブレーキペダルとアクセルペダルを踏みまちがえたため、加害車前部を原告の腰部に衝突させた。

三  損害

1  受傷、治療経過等

(一) 受傷

腰椎椎体圧迫骨折、左手打僕、胸椎圧迫骨折、左第四中手骨々折

(二) 治療経過

入院

昭和五六年八月六日から同月八日まで森本病院

昭和五六年八月八日から同年九月八日まで生野中央病院昭和五七年一月一二日から同月二二日まで越川整形外科病院

昭和五八年三月三〇日から同年六月一日まで共和病院通院

昭和五六年四月二三日から同年七月二三日まで羽野病院

昭和五六年一二月一九日の一日と昭和五七年二月四日から同年六月二二日まで山崎病院

昭和五七年五月二四日貴島病院本院

昭和五七年九月一七日大阪赤十字病院

昭和五七年一一月二九日正和病院

昭和五八年六月二四日から同年一〇月一七日まで上原病院

昭和五九年七月二〇日から同年一〇月二〇日まで平山外科

(三) 後遺症

原告は本件事故による傷害により、昭和五八年六月一日ごろ、後遺障害別等級表第六級五号に該当する後遺障害を残して症状固定した。

2  治療関係費

(一) 治療費六六万七、四四〇円

内訳

羽野病院治療費五六万八、三二〇円

病院個室差額料 生野中央病院分四万八、〇〇〇円

共和病院分三万二、〇〇〇円

診断書料等一万九、一二〇円

(二) 入院雑費九万円

入院中一日一、〇〇〇円の割合による九〇日分

(三) 入院付添費三八万五、〇〇〇円

入院中原告の娘が付添い、一日三、五〇〇円の割合による一一〇日分

(四) 通院付添費三六万六、〇〇〇円

通院中原告の娘が付添い、一日一、五〇〇円の割合による二四四日分

(五) 通院交通費九万六、三五〇円

羽野病院・生野中央病院・貴島病院・上原病院・平山外科へのバス代合計六万一、八八〇円、タクシー代合計三万四、四七〇円の総合計

(六) その他七万七、七〇〇円

(1) 寝台自動車代五、六〇〇円

(2) 医師、看護婦への謝礼一万二、六〇〇円

(3) 家政婦一万円

(4) レントゲン写真複製料四万九、五〇〇円

3  慰藉料一、〇〇〇万円

内訳

入・通院慰藉料二〇〇万円

後遺障害慰藉料八〇〇万円

4  弁護士費用五〇万円

四  損害の填補

原告は次のとおり支払を受けた。

1  自賠責保険金として四八万〇、八八〇円

2  被告らから五六万八、三二〇円

五  本訴請求

よつて原告は被告らに対し、損害合計一、二一八万二、四九〇円より既払分一〇四万九、二〇〇円を控除した内金として、請求の趣旨記載のとおりの判決(遅延損害金は民法所定の年五分の割合による。)を求める。

第三請求原因に対する被告らの答弁

一の1ないし4は認めるが、5は争う。

二の1は認める。

二の2は争う。

三のうち、羽野病院へ治療費などとして五六万八、三二〇円を要したことは認めるが、その余の事実は不知。

なお、加害車は原告に接触したのみであつて、原告の入・通院と本件事故との間には因果関係はない。

四は認める。

第四証拠

記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおり。

理由

第一事故の発生

請求原因一の1ないし4の各事実は、当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第三号証の一ないし六、第四ないし第七号証によれば同5の事実が認められる。

第二責任原因

一  運行供用者責任

請求原因二の1の事実は、当事者間に争いがない。従つて、被告角政男は自賠法三条により、本件事故による原告の損害を賠償する責任がある。

二  一般不法行為責任

1  成立に争いのない乙第三号証の一ないし六、第四ないし第七号証、被告山田隆司本人尋問の結果によれば

(一) 本件道路は、アスフアルト舗装のなされた南北道路であつて、車道の幅員が南行きで三・一メートル、北行きで三・八メートルあり、路側帯として道路東側に一・四メートル幅の砂利道、道路西側に一・五メートルのアスフアルト舗装のなされた歩道(但し、歩車道の区分は白線により画されているのみであつて、かつ、事故現場附近より南への歩道は砂利道となつている。)が設置され、現場附近には照明灯が設けられているため比較的明るい、最高速度を時速二〇キロメートルと制限された道路であつた。

(二) 被告山田は、助手席に中岡、後部右側席に平山こと甲、後部左側席に中を同乗させて加害車を運転し、本件事故現場より南へ約一二メートル後方にある東西道路を東進し、道路標示に従つて一旦停止してのち、左折の合図をして左折を開始し、南北道路を北進すべく時速約一五キロメートルで約六・九メートル左折進行した際、加害車左後輪が脱輪し、視線を脱輪した左後方に移し、その後、約四・五メートル進行して視線を前方に向けたところ、約六・七メートル先に歩車道区分線より約一・二メートル車道に入つたところを歩行している原告と、対向車線を進行してくる車両の前照燈を認め、対向車との衝突を避けようとハンドルを左に切り、ブレーキ操作をしようとしたが、昭和五六年四月一八日に運転免許を取得したばかりでいまだ自動車の運転に不慣れであつたためにアクセルペダルを踏んだことから、加害車を原告に衝突させ、続いて約二・七メートル左へ進行してのち、喫茶「キヤラバン」のシヤツターに加害車左前部を衝突させてようやく停止した。

(三) 原告は、風呂へ行つての帰路、南北道路を南から北へ向つて、道路左側車道端から約一・三メートルの車道上を、左手に洗面器を入れた風呂敷包みを持ち、ゆつくりとした速度で歩行中、後方から進行してきた加害車が原告の左腰付近に衝突し、強い衝撃を受けたものの、転倒することはなかつた。

(四) 事故後の見分によれば、加害車右前部角フエンダー、バンパーに払拭痕、左前角フエンダーが凹損しており、左へツドグリルが破損していた。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

2  右事実によれば、被告山田は、南北道路を左折進行して加害車を北進させるに際し、前方を注視するのはもとより、運転操作を適切にして事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、左折中に加害車左後輪が脱輪したことに狼狽し、前方注視を欠いて時速約一五キロメートルで進行したことから、道路左側を北に向け歩行していた原告を約六・七メートル先にはじめて発見し、また、原告との衝突を避けるためブレーキ操作をすべきであるのに、ハンドルを左へ切つたのみで、ブレーキペダルとアクセルペダルを踏み間違えて加速した過失により、加害車右前部角フエンダー、バンパー部分を原告の左腰付近に衝突させたことが認められるのであるから、被告山田は民法七〇九条により、本件事故による原告の損害を賠償する責任がある。

第三損害

一  受傷、治療経過等

1  成立に争いのない甲第六号証の一ないし一六、第七、第八号証、第九号証の一、二、第一〇号証の一ないし六、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一ないし第五号証、原本の存在につき争いなく原告の主張どおりのフイルムであることに争いのない検甲第一ないし第一〇号証、弁論の全趣旨により原本の存在及びその真正に成立したものと認められる検甲第二ないし第一三号証によれば、請求原因三(一)のうち、腰椎圧迫骨折、左手打僕及び同(二)の事実が認められ、かつ後遺症として、自賠法施行令別表に定める後遺障害等級第一一級七号に該当する脊柱に奇形を残し、かつ、同表第一二級一二号に該当する局部に頑固な神経症状を残す(従って、同法施行令第二条1項二号二により同表第一〇級該当の損害)等の症状が固定(昭和五七年二月四日頃固定)したことが認められる。

2  被告らは、本件事故と原告の受傷、とくに腰部骨折との間に因果関係がない旨主張する。そこで考えるに、右各証拠によれば、原告は昭和五六年四月二三日の本件事故による受傷を治療するため羽野病院で診察を受け、腰椎及び左手に(腰椎については二方向より撮影)レントゲン検査をしたものの骨折等の明白な異常が認められなかつたために診断傷病名を腰部打僕、左手打僕とし、湿布処置などがなされてその日は帰宅したこと、ところが、原告は腰部及び左上腕のいたみがとれなかつたことから、羽野病院においてはほぼ毎日通院してくる原告に対し、継続して湿布、投薬治療を行なつてきたこと、同年五月二六日にも撮影された腰椎、左手関節のレントゲン検査でも特別の変化がなかつたため羽野病院ではそれまでの治療方法を継続していた同年六月五日ごろから原告の症状が腰部で悪化したこと、そこで同病院では同月八日胸椎のレントゲン検査を実施したところ、L3に樫状がみられ、骨粗しよう症が発見されたこと、右発見により、羽野病院ではコルセツトを使用して局部を固定し、治療にあたつていたが、原告は、同年八月三日ごろから体を動かすこともできなくなつたため、救急病院である森本病院へ同月六日転移入院したこと、森本病院でのレントゲン検査の結果では、原告の第二・三・四腰椎々体に圧迫骨折がみられたこと、更に、原告は、同月八日に生野中央病院へ転移入院したが、生野中央病院では諸検査の結果、原告の症状を腰椎胸椎変形症及び圧迫骨折、骨粗しよう症、腰痛症及び胸背痛症、慢性膀胱炎と診断し入院治療を続けたこと、ところが、同年九月八日ごろには心臓性浮腫がみられるようになつたこと、その後入通院した越川整形外科病院では、諸検査の結果、L3の陳旧性圧迫骨折、脳動脈硬化症、右膝変形性関節症、骨粗しよう症と診断し、治療を行なつてきたこと、昭和五七年二月四日から原告の治療にあたつてきた山崎医院では、腰痛症、第三・四腰椎圧迫骨折後遺症、右膝関節痛という病名で治療を実施していたこと、同年五月二四日の貴島病院本院での診断では、原告の症状を変形性腰椎症、骨粗しよう症、陳旧性腰椎骨折、左手挫傷と診断したこと、同年九月一七日受診した大阪赤十字病院では腰椎圧迫骨後との診断がなされたこと、同年一一月二九日受診した正和病院では、原告の傷病名を変形性腰椎症、骨粗しよう症としていること、昭和五八年三月三〇日より入院治療のなされた共和病院では、第三・四圧迫骨折後、骨粗しょう症、左手痛の病名のもと治療が実施され、昭和五八年六月一日、原告の症状は、腰部に自発痛、圧痛があり、前後屈運動が制限される、レントゲン検査で第三・四腰椎樫状化、骨粗しょう症がみられること、そのため、腰痛は頑固で歩行に難渋する自覚症状のあることなどの後遺症を残して症状固定したものと判断し、予後は回復の可能性はないものと認め、同日診断書を作成したことが認められ、一般に、骨粗しょう症となる原因としては、〈イ〉廃用性 〈コ〉循環障害 〈ハ〉代謝障害 〈ニ〉内分秘障害 〈ホ〉老人性骨多こう(孔)症が考えられるものの、腰椎への発現原因としては、 〈コ〉及び〈ホ〉を原因とすることが多く考えられ、〈ロ〉の原因は局所外傷によつてみられること、〈ホ〉の原因は加齢によることがいいうること、しかしながら、右〈ホ〉の状態にある人体に対しては軽微な外圧が加わつただけでも、骨強度が著しく減じているため、骨折を起こしやすいこと及び前記認定のとおり、原告は加害車と衝突してのちも転倒することはなかつたことをも総合すると、満八一歳に達していた原告には、腰椎に加齢による骨多しよう症が存在していたところへ本件事故に遭遇し、第三・四腰椎が圧迫骨折したものと推認され、そうすると、本件事故と原告の第三・四腰椎圧迫骨折との間には因果関係がある。

しかしながら、右事実によれば、昭和五七年一月以降の越川整形外科病院、山崎医院、貴島病院本院、大阪赤十字病院などでの診断では、原告の本件事故により受傷した第三・四腰椎圧迫骨折も、すでに陳旧性となつているか、あるいは骨折後遺症と判断していることが認められ、その他、原告には腰椎胸椎変形症、骨粗しょう症、慢性膀胱炎、心臓浮腫、脳動脈硬化症、右膝変形性関節症という私病のあることも認められるのであるから、原告の本件事故により受傷した第三・四腰椎の圧迫骨折及び左手挫傷の傷害は、山崎医院で治療がなされる以前である、遅くとも昭和五七年二月四日ごろには、第三・四腰椎樫状化、骨粗しよう症への移行が認められ、従つて、腰部に自発痛、圧痛が認められ、前後屈運動が制限されるという他覚所見及び腰痛が頑固で歩行に難渋するという自覚症状を残して症状固定したものというべきである。

3  従つて前記のとおり認定した。

二  治療関係費

1  治療費

原告は本件事故による受傷のため、羽野病院に対し治療費などとして五六万八、三二〇円を要したことは、当事者に争いがなく、成立に争いのない甲第一二号証の一ないし六及び弁論の全趣旨によれば、原告は、生野中央病院に入院中、原告の重態な病状などのため個室入院を要し、右差額料として五万円を要したことが認められ、右金員を超える分については、原告の症状固定後のものであつて、本件事故と相当因果関係がないと認める。

2  入院雑費

原告が症状固定に至るまで四六日間入院したことは、前記のとおりであり、右入院期間中一日一、〇〇〇円の割合による合計四万六、〇〇〇円の入院雑費を要したことは、経験則上これを認めることができる。右金額を超える分については、本件事故と相当因果関係がないと認める。

3  入院付添費

成立に争いのない甲第一六号証の二、三、前記認定の原告の症状及び弁論の全趣旨と経験則によれば、原告は症状固定までの前記入院期間である。四六日間添付看護を要し、その間一日三、五〇〇円の割合による合計一六万一、〇〇〇円の損害を被つたことが認められる。右金額を超える分については、本件事故と相当因果関係がないと認める。

4  通院交通費

成立に争いのない甲第一三号証の一ないし八、一〇、一一、一八ないし三〇、弁論の全趣旨及び前記認定の通院経過によれば、原告は前記通院のため合計四万六、七七〇円の通院交通費(タクシー代二万六、三三〇円とバス代二万〇、四四〇円)を要したことが認められる。右金額を超える分については、本件事故と相当因果関係がないと認める。

5  その他

成立に争いのない甲第一四号証の一、二によれば、原告は本件事故による傷害のため、寝台自動車代五、六〇〇円、家政婦代九、二六〇円を要したことが認められる。右金員を超える分については、本件事故と相当因果関係がないと認める。

三  慰藉料

本件事故の態様、原告の傷害の部位、程度、治療の経過、後遺障害の内容程度、原告の年齢、親族関係、その他諸般の事情を考えあわせると、原告の慰藉料額は四一〇万円とするのが相当であると認められる。

第四損害の填補

請求原因四の事実は、当事者間に争いがない。

よつて原告の前記損害額合計四九八万六、九五〇円から右填補分一〇四万九、二〇〇円を差引くと、残損害額は三九三万七、七五〇円となる。

第五弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照すと、原告が被告らに対して本件事故による損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は三五万円とするのが相当であると認められる。

第六結論

よつて被告らは各自、原告に対し、四二八万七、七五〇円、およびこれに対する本件不法行為の日である昭和五六年四月二三日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務があり、原告の本訴請求は右の限度で正当であるからこれを認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 坂井良和)

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